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花柳流の歴史

 

 

 花柳流は日本舞踊の五大流派の中の一流派であり最大流派とも言われている。

嘉永2年に初代 花柳芳次郎(後に初代花柳壽輔)によって創立され、現 五代目花柳壽輔まで脈脈と受継がれ組織を全国に発展し、古典舞踊の継承と共に時代に即した新しい舞踊を次々と生み出している。代々家元は歌舞伎などの振付や創作的な活動の両面をおこなっており、若手の育成にも力を入れている。

花柳流とは…

花柳家の家系図

花柳流 略歴年表

※注1

四世宗家家元は、二世宗家家元や三世宗家家元らの位牌を含む花柳家の祭祀財産及び霊園の墓地使用権を承継いたしました。(裁判所のご判断も頂戴しております)。

 

※注2

花柳流に代々伝わる伝承品800点余りの全ては、裁判所に選任された三世宗家家元の相続財産管理人が、裁判所の許可決定を得た上で花柳流花柳会に譲り渡し、現在は、私ども一般財団法人花柳流花柳会で管理されています。

1848年

4月中村座に於いて「花柳芳次郎」の名が初めて番付に載る。

1849年

「初代花柳芳次郎」が花柳流を創立。

1850年

かつての師、七代目市川團十郎が自らの俳号「壽海老人」の一字を芳次郎に贈り芳次郎は「花柳壽助」となる。

1860年

現代の表記と同じ「花柳壽輔」へ改名する。

1893年

「花柳芳三郎」(後の二世宗家家元花柳壽輔)が誕生する。

1903年

流祖である、「初代花柳壽輔」が逝去される。

1918年

6月4日に花柳芳三郎が「二世宗家家元花柳壽輔」を浅草は市村座で襲名。

1924年

「二世宗家家元 花柳壽輔」が花柳舞踊研究会を組織。

1931年

「花柳寛」(後の四世宗家家元 現 二代目壽應)が誕生する。

1935年

「花柳わかば」(後の三世宗家家元花柳壽輔)が誕生する。

1960年

「二世宗家家元 花柳壽輔」が重要無形文化財保持者指定(人間国宝)を受ける。

1962年

二世宗家家元花柳壽輔が芸術院会員となる。

1963年

花柳若葉が「三世家元花柳壽輔」を襲名。二代目は家元を退き自らは「宗家 花柳壽應」を襲名した。

1967年

花柳寛(四世宗家家元 現 二代目壽應)が「五代目花柳芳次郎」を襲名する。

1970年

「花柳壽應」(二世宗家家元花柳壽輔)が逝去され、三世家元が「三世宗家家元花柳壽輔」となる。

1990年

三世宗家家元花柳壽輔が日本芸術院賞を授賞する。

1992年

「花柳創右」(現在の五世宗家家元花柳壽輔)が誕生する。

1999年

三世宗家家元花柳壽輔が日本芸術院会員となる。

2001年

五代目花柳芳次郎が日本芸術院賞を授賞する。

2007年

5月に三世宗家家元花柳壽輔が逝去される。 ※注 1,2

2007年

6月27日 花柳創右(現 五世宗家家元花柳壽輔)が「六代目花柳芳次郎」を歌舞伎座で襲名。

​創右の姉、花柳明日香は「二代目花柳ツル」を襲名した。

2007年

五代目花柳芳次郎は、芳次郎の名を孫に譲り自らを花柳寛應とするが、三世家元の逝去後理事会による決定で 寛應 襲名披露の翌日におこなわれた三世宗家家元の葬儀の際「四世宗家家元花柳壽輔」を継承した。

2008年

「四世宗家家元花柳壽輔」の襲名披露が東京の歌舞伎座を皮切りに全国でおこなわれる。

2011年

四世宗家家元花柳壽輔が日本芸術院会員となる。

2013年

花柳流流祖生誕二百年祭と、三世宗家家元の七回忌の追善舞踊会が同年に新装なった歌舞伎座でおこなわれる。歌舞伎以外の興行は花柳流が初めてである。

2016年

6月4日 六代目花柳芳次郎が「五世宗家家元花柳壽輔」を浅草は浅草神社、浅草寺にて襲名。

四代目は宗家家元を退き自らは「二代目花柳壽應」を襲名した。

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